7/14(土)

 7/15(日)
  • ほぼ全員でモニター役のナタリーより紹介のあったフェスティバルにいくため,徒歩(20分程度)でダウンタウンの中心部へ。なんだかよくわからないフェスティバル。午後は大学近くの公園に移動。シェークスピア祭り?だったとか。今日一日は英語研修を忘れ,完全に観光気分。これもよし。
  • 夕食中に霰(あられ)を含むサンダーストームにびっくり。
  • ルームキーピングがかなりずさん。いくつもの部屋がベッドメーキングはおろか,タオルの交換もない。この数日間はこんな問題ばかりでフロントと交渉度々。もっとも大きな問題は,フロントがパートタイマーばかりで成り立っていること。ただし,交渉の成果か現在はかなり快適。
  • 午後10時より参加者全員を集めてのミーティングを予定していたが,ここで1名が行方不明に。7名で雨の中を捜索。20分後に捕獲した。もちろん,みなびしょ濡れ。服を着替えたのちに反省会を含め,諸注意を行う。

 7/16(月)
  • いよいよ今日から授業開始。やや遅刻するも緊張感はある。 アルバータ大学のメインキャンパスに足を踏み入れる。
  • 教室はHumanities Centreにあった。クラスは二つ。大別すると年長組と若年組のように思えるが,その真意は不明。前者の先生はキャロル,大柄でぐいぐいおすタイプ。言葉は悪いが男勝り。後者の先生はジャスティン。こちらもアクティブ。どちらかと言うとかなり細かくケアするタイプ。
  • 英語の勉強は午前中だけでは終わらない。課題が毎日出される。いわゆる宿題である。いろいろと人々に尋ねて回答を得るという楽しいものが多いが,この課題がのちのち負担になってくる。日記に相当するJournalの執筆には多くの者が悩まされたようだ。なお,この日の課題はExtention Centreから歩いて10分のところにあるSafewayとShoppers Drug Storeでいろいろと調査すること。店員に尋ねなければならない課題もあるので会話の練習にもなる。店員も慣れているのかみな親切に回答してくれた。
  • 講議のあと,大学内にあるHUBと呼ばれるモールに立ちより,バスパスを買う。HUB学生で49ドルは高いように思うが,これで7月中はバスも地下鉄も乗り放題。機動力抜群にアップ。とにかくエドモントン,とくにアルバータ大学は交通網の拠点となっているので,みな思い思いにこのバスパスを有効利用する。ただし,2名の男子がバスパスの代りに自転車を99ドルで購入した。なお,このHUBモール,全長役200メートルに及びファーストフード店が多く立ち並ぶショッピングモール。とにかく便利だ。3階以上は学生アパートになっている。
  • 今日のミーティング・・・
    ・セーフティ・ボックスはホテルのフロントにあるが,それ以外に大学のセーフティ・ボックスが利用できることを伝えた。ただし,開閉は通常の勤務時間内という制限があり,これも使いにくい。したがって土日はだめ。つまり,ホテルは信用できないが,大学は利用しにくいと言うこと。
    ・学生のインターネット利用は2,3日後に可能であること。サンディが担当。
    ・ライブラリの利用はいつでも可。ただし持ち出しはできないこと。
    ・授業料の支払いは明日のスカベンジャーハントのあとで。

 7/17(火)
 
  • 相変わらず遅刻がたえないのでちょっと雷をおとした。カナダに限らず,欧米の学校は朝が早い。はやく慣れること。
  • ほとんどの者がホテルの朝食をキャンセル。味が口に合わない者,4ドルでは高すぎると思っている者,朝が苦手の者などいろいろ。
  • KennichiとYuyaが自転車で通学を始めた。すでに昨日,大学まで試し乗りしたとか。 
  • 若年者のクラス担当であるジャスティンは,この日より授業の形態を変え出した。シャイで自信のない生徒を目の当たりにしたためである。しかし,もともと元気な子が多いだけに,ジャスティンのクラスではラジオ体操あり,たこや猿の物まねあり。。。
  • この日の午後は,公式プログラムのスカベンジャーハント。大学内をテーマを解決しながら散策するもので,1等賞になったチームには御褒美のTシャツが与えられる。真剣に取り組むチーム,ズルをするチームなどいろいろ。早くも皆のテンションは上り詰めはじめた。
  • スカベンジャーハントのあと,Faculty of Extensionでセミナー代の支払いを行う。多くの者がクレジットカードでの支払いの経験がない。戸惑いと不安の顔が見えかくれするが,クレジットカードの便利さを少しずつ体感しているものと思われる。クレジットカードをうまく使うこともグローバル・スタンダードを実につけることにつながる。米ドルでの支払いを望む者もいたが,残念ながらこれは受け入れられず,翌日,Faculty of Extension 横の銀行でカナダドルに換金し,支払うことになった。
  • この日初めて気分のすぐれない者があらわれた。基本的には寝不足。不運もあったようだが,本人の問題とわりきった。

 7/18(水)
 
  • ホテルにはコーヒーショップが併設しており,ここでコーヒーとパンが手に入る。レギュラーコーヒーは1ドル60。早めに出かけてHUBで朝食をとる者もいるが,多くはシリアルなどで簡単に済ますかパス。高校生2名以外の参加者は,午前8時からの授業開始にまだまだ慣れていないようだ。
  • Faculty of Extension の情報室で台湾人2名に会った。一人は化学系で龍華技術学院の講師。彼等も夏期セミナーの引率者。
  • 授業は,キャロルとジャスティンの個性の差がはっきりと出始めていた。キャロルの方はかつて日本を経験しているだけにわかりやすい英語を話すが,宿題はかなりハード。生徒のホテルに戻ってからの目の色が違う。一方のジャスティン,なんとか生徒のポテンシャルを引き出そうと懸命。眠っている生徒が多い時は,授業を中断して皆でHUBモールに出かけることも。
  • 講議のあと,ナタリーの誘導でを全員,Wenddysへ。ここで女子数名がWenddysならではのクラシック・トリプル(大きいパテが3枚の巨大ハンバーガー)に挑戦。見事食べ尽くした。男の子の何人かは,そのキングサイズを平らげたとか。まだ挑戦していない人は是非どうぞ。味もグッドです。
  • Faculty of Extension 横の銀行で何人かが換金。手数料は一律で一回2ドル50。
  • 高校生二人がホワイトアベニューへ。約3時間エンジョイしたのちホテルに戻ってきた。だんだんエドモントンの生活に慣れてきて,行動範囲が広くなってきた。ホワイト・アベニュー(Whyte Av.)は,学生にとってはダウタウンよりも楽しいところ。これからもちょくちょく通うことななるだろう。
  • この日からそろそろ自炊が始まった。普通の米も近くのSave-On-FoodsやWhyte Av. のSafewayで手に入る。値段も日本より安く,また,高級米も売っている。もちろん,長粒米も売っており,これはもっと安い。多少味は違うが,サッポロ一番やカップヌードル(ただし妙なものが多い)も売っている。

 7/19(木)
 
  • 当日は通常の授業の後,Prof. Shahのチームとのソフトボールを行った。この行事は恒例となっていて,アルバータ委員会の事務局長より勝利することを強く求められていたが,結局相手チームのメンバーが少なく,またグローブの数も少なかったので親善試合に変更。勝ち負けはなしに。特筆すべきは相手チームに1名,大リーガー級のパワーの持ち主がいたこと,Prof. Shahがユニホームを着ていたこと,キャロルがやはり男勝りであること。
  • 午後7時にイートンセンターのシアター前に希望者が集合。これも企画の一つのようで,ナタリーと映画を体験することになった。結局,皆で封切り直後のジュラシック・パーク3を見ることになった・・・すなわち,英語がわからなくても内容が把握できるもの。映画の出来は別にして,1本10ドルは安価である。なお,火曜日はさらに安いらしい。また混んでいないのも嬉しい。
  • 多くの者がポップコーンにも初挑戦した。とにかく入れ物のサイズがでかい。何も言わないとトッピングにオイルをかけられる。うまいがもたれる。

 7/20(金)
 
  • 午前中は通常の授業。午後はフリー。ただし4人は夕方よりホームビジット。

 7/21(土)
 
  • 2回目の週末。みなフリーにエドモントンを楽しむ。
  • C君とY君は明日未明よりトラムヘラーに向かう。世界的に有名な恐竜博士と会うためである。月曜日と火曜日の2日間授業を休むことになるので,キャロル達に正式に欠席届けを書かせることにした。

 7/22(日)
 
  • 今日もフリー。ただしダウンタウンなどの多くのショッピングセンターは正午から午後5時までが営業時間。

 7/23(月)
 

 7/24(火)
 
  • 午前中は通常の授業。午後はフリーのはずだったが,キャロルより突然の提案があり,県立博物館へ。ここで約3時間を過ごす。バスはホテルから。なかなか良い博物館だった。しかもキャロルの交渉により入場料は無料に。
  • さらにキャロルの提案で食事をすることになった。
  • キャロルはさらに夜のプランを切り出してきたが,さすがこれは断らせていただいた。
  • 夜には札幌医科大のグループとジョイントパーティがあった。

 7/25(水)
 
  • 午前中は通常の授業。午後は歴史的記念館としての州議事堂見学。
  • 夕方になってWest Edmonton Mallで1名が迷子になったという電話が入った。4人の捜索隊を組み,現地へ。閉店間際の9時近くまで探したが見つからない。やむなくホテルに電話してみると,ちょうどその時,当人が戻ってきた。何はともあれほっとした。
  • クロンダイク・デイのハイライトでもある花火大会が開かれた。といっても暗くなってからだから門限を緩和。およそ1/3の学生が花火見学にいったようだ。

 7/26(木)
 

カナディアン・ロッキー・ツアー
 7/27(金)
 


 7/28(土)
 
  • 朝7時にモーニングコールが全員の部屋に響き渡る。ナタリー達が予約したようだ。いつも遅刻が絶えないのがその理由だろう。なお,元気の良い者は早朝フィッシングに出かけた。ただし,釣果があったという情報はない。
  • 朝食は少し離れたレストランでコンチネンタル・バフェ。このレストランに8時集合と聞かされていたが,それはナタリー達がそのままバスに乗り込むことを想定しているため。しかし日本人の場合,食後に歯磨きやトイレにいく者が多いので,9時出発なら7時半頃が無難だろう。札幌医科大学はほとんど7時半にレストランに集合していたので,熊大グループは明らかに出遅れてしまった。
  • 結局出発が15分ほど遅れ,2日目のメイン・イベント,レイク・ルイーズに向かった。バスを降り,2,3分ほど歩くとそこには翡翠色の湖面が広がっていた。時間が押しているのでただちに予定されていたカヌーイングとなる。3人ひと組となってレイク・ルイーズに漕ぎ出した。ほとんどの者が初めてのカヌーイングと思われるが,氷河に向かってすいすいと進んでいった。氷河やシャトー・レイク・ルイーズをバックに,互いのカヌーから写真を写しあった。あっと言う間の1時間が過ぎ,陸にあがって無事に集合写真。
  • ランチは豪華にシャトー・レイク・ルイーズ内でバフェ。内容も今回の旅行の中でもっとも充実していた。リゾート気分を満喫できたと思う。
  • このあと雨が激しくなり,午後の予定であったBow Falls見学は中止になった。逆に女の子達にとっては幸せなバンフ・ダウンタウンでのフリータイムとなった。約4時間,たっぷりと足を使ってお土産あさりに没頭していたに違いない。
  • 夕食は6時半よりWildbillsレストランで。ここもバフェスタイルであったが,今回はウェスタン風。リブは甘味が強く今一つであったが,皆にとっては良い経験となったであろう。
  • 8時よりホテルに戻るがここでトラブル。ほとんどの部屋でタオルの交換がなされていなかった。よくあることだが,こうも頻発するとほとほと疲れる。この後はフリータイムだが,徒歩でダウンタウンに行く者,9時よりバドミントンをする者,その後水泳する者,また10時からナタリー達とダウンタウンで飲む者などさまざま。最後のバンフを思い思いに過ごすこととなった。
  • この夜,一人の学生より思いもよらぬ報告があった。手に小さな紙切れをもっとおり,よく読むとそれは反則キップだった。国立公園内を掘り起こし,石をバッグに入れたためである。おそらく通報され,ただちにレンジャーか警察によって取り調べにあったものと思われる。石を元に戻し,とりあえず放免されたようだ。欧米では国立公園のような貴重な遺産に対してその保護意識はきわめて高い。彼等のルールをよく理解することが大事だ。


 7/29(日)
 
  • 前日の雨による影響により,予定が変更。今日はモーニングコールも鳴らず,ゆっくりと朝食をとることに。
  • 帰途の前に3ケ所のビュー・ポイントに立ち寄った。いずれもバンフのシンボルであるバンフ・スプリングス・ホテルの周辺。ロッキーの雄大さはもちろんのこと,野生動物にとってはまさに天国の豊かな緑と潤いの場が目に飛び込む。もちろん,ここでも数百枚分の記念撮影が行われたに違いない。
  • 昼食はダウンタウン内の杉の家という和食屋さんで。冷ややっこから始まり,てんぷらとお味噌汁にごはん。男の子の多くはおかわりをしていたが,女の子の中にもごはん3ばいがいたとか。やっぱり和食はうまい。
  • 昼食後のわずかな時間を使って最後のショッピングを楽しむ者も多数いた。両手にずっしりとお重い土産を抱えた者も。きっとメイプルシロップがどっさりと入っているに違いない。
  • さすがの若者も疲れと寝不足がたたり,帰りのバス内は静かなもの。多くの学生が熟睡していた。そんな時,Cochranという小さな町でバスがとまった。モニターが起きろと言う。ここでアイスクリームを食べるというのだ。皆にとっては迷惑きわまりない途中下車。しかしこのアイスクリーム屋さん,半端な人気じゃなかった。行列ができているのである。皆の眠気はいっぺんにさめ,思い思いのアイスクリームを注文し,ここでも記念撮影がばちばち。ちなみにこの町,看板にWestern Heritageと書かれていた。アメリカで言えばワイアットアープやOK牧場で有名なツームストーンのようなところか。それにしても盛り沢山のツアーである。
  • ホテルには予定通り,午後6時に到着した。皆ぐったりしている。しかしまた明日から英語の授業が始まるので,夜の10時からミーティングすることになった。2週間もたつといろいろと軋轢も生じる。気分転換を含め,部屋割りを再考することになった。また,8月3日から始まる世界陸上のチケットが各人に配られた。



 7/30(月)
 



 7/31(火)
 
  • 本日は通常の授業ではなく,二人の先生とモニターと一緒にアウトドアを楽しむ日。約11時間をHorse-riding(乗馬),昼食,カヌーイング,スポーツ,ディナーなどでエンジョイした。
  • 牧場へは大学のイエローバス(スクールバス)で向かった。運転手は大柄の女性でサングラス。アメリカの映画などてよくみかける光景だ。このバスで東に向かい,エルク・アイランド国立公園近くの牧場に到着。経営者と思われるおじいちゃんと3人のインストラクター(女性)が出迎えてくれた。
  • 乗馬は3組に別れて行われた。国立公園の周りを約40分程度馬で散歩する程度のものだが,なかなか本格的。ほとんどの者が初体験だけに,みな大いにこの乗馬を楽しんだ。馬にはそれぞれ名前がついており,自分の乗った馬に愛着をもったようだ。ちなみに彼等の名前を列挙すると,エイコーン,アンドレ,スパイダ−,ボブ,ブーマ,など。
  • 乗馬を待つ間は,少し離れた公園でフリスビーやバレーボール,サッカーなどを思い思いに楽しんだ。キャロル達は約2時間,フリスビーをやり続けたと言う。彼女の凄まじいスタミナと勝負魂はその後さらに発揮される。
  • ランチはStrathcona Wilderness Centre内のクラブハウスで特製のスープとサンドイッチ,サラダ。スープは初めて体験する味だが,なかなか評判がよかった。
  • 同センター内の湖でカヌーイング。説明によると,元は農場で小さな池があった程度らしい。湖は藻が一面に繁茂しており,深さはせいぜい1メートル程度。大型の2艘に分乗し,漕ぎ出した。約1時間程度のカヌーイングを楽しむが,ハイライトはここから。接岸のため接近した2艘のうち,ジャスティンがいきなりキャロル組に向かってオールで水をかけはじめた。宣戦布告である。まさに不意打ちであったが,キャロル組がいち早く上陸し,桟橋からジャスティン組を返り打ちに。とくにキャロルとナタリーの攻撃は圧巻であった。皆ここにカナディアン魂を感じたに違いない。なおこの水掛けごっこ,なんと帰途のバスの中まで持ち込まれることとなった。
  • 夕食までの1時間,センター内のトレイルを薦められたが,皆ぐったりしており,結局フリスビーやバレーボールで時間を費やすことになった。ここでもキャロルは元気モリモリだった。
  • 夕食はアルバータ牛の炭焼きステーキ。脂肪分はきわめて少ないが,カナダで一番美味しいと言われる片鱗を垣間見ることができた。
  • 帰途,粋な計らいでエルク・アイランド国立公園入り口までバスで向かい,運良くバッファロー3頭と遭遇。バス内が一挙に興奮する。その他,鹿も数頭目撃。とにかく盛り沢山の1日となった・・・がぐったり。
  • この夜,土日をかけてのドラムへラー・ツアーの提案があった。今回は男子3名と女子1名。了承の方向で考慮中。できれば全員で訪問したいところなのだが。



 8/1(水)
 
  • 昨日今日と朝から典型的なエドモントン晴れ。また,久しぶりに通常の授業に戻った。
  • 午後は,化学系の学生11名とY君が約1時間の化学科のツアーに参加した。ツアー・コンダクターは化学科のMargalet-Ann Armour博士。身長は180cmくらいの大柄な女性。ナタリーによると訛りがアイリッシュ的と言っていた。そう言えばナタリーの父親もアイリッシュの血が流れていると言っていたので,それが分かるのかも知れない。とにかく丁寧で親日的な応対が印象的だった。英語も聞き取りやすいので,参加した学生もかなり理解したのではないかと思う・・・数名は昨日の疲れのせいか,居眠りしていたが。OHPによるイントロダクションに続いて学生実験室や機器分析室,二つの研究室も訪問した。3年目になる日本人ポスドク(亀山さん)にも会った。コンビナトリアル・ケミストリを利用して発ガンに関与する糖構造に関して研究しているらしい。
  • その後キャロル,ジャスティンと合流し,Rutherford Houseで英国風の午後のお茶を楽しんだ。参加者は20人程度。ケーキやクッキー,フルーツにお茶あるいはコーヒーで約8ドル程度。ガイドツアーもあり,古き良きエドモントンの雰囲気を味わった。なお,Rutherfordはもともと法律家でアルバータ大学の創始者。人々に愛され,今では小学校や図書館など,彼の名前を冠にもつ施設がエドモントン中にあると聞いた。
  • キャロルからバスパスに関する貴重な提案があった。バスパスはきわめてパワフルなアイテムだが,1ヶ月単位となっているので我々の場合のように8月は事実上10日間しか利用しない場合は割高感がある。キャロルの提案は,このジレンマを緩和してくれるものであった。すなわち,キャロルは我々のクラスを終えたあと,新潟大学からの学生を受け持つことが決まっており,彼等に有効期限の残っているバスパスの転売を申し出てくれたのである。100パーセントの回収は無理だが,たいへんありがたい申し出であり,感謝に絶えない。


 8/2(木)
 
  • 午前中は通常の授業。午後は,公式プログラムとしてのWest Edmonton Mall。まだ初めての者も二人ほどいた。今日はひとり一枚の入場キップが配られたので,ショッピングというよりはジェットコースターやバイキングなどを楽しんだ者が多い。午後4時には一度集合したが,多くの者がそのまま滞在し,思い思いに数時間を楽しんだ。
  • 映画を見た者も多い。話題の新作,The Mummy returns(和名はハムナプトラ2)がわずか3ドル50はやっぱり驚きである。


 8/3(金)
 
  • 午前中は通常の授業。午後は,公式プログラムとしての化学材料工学科ツアー。知能生産系の学生がこれに参加した。おそらく,低学年の者にとっては技術英語に悩まされたのではないかと思う。日本の大学との相違や共通点を知ることも重要である。
  • 上記のツアーの際に2名の女の子をNinaに紹介した。彼女はProf. Shahのところで客員教授として滞在中のイギリス人である。40分程度と短いものだったが,いろんな人に会い,文化や社会システムの相違を知ることも重要な勉強である。
  • 今日は世界陸上の開幕日である。地下鉄に乗り,4つ目の駅がStadium駅である。そこから歩いて5分,指定の席に6名が座った。スタジアムの形状はアメリカン・フットボール場のように両サイドが急勾配で競りあがっており,その競り上がりの間から緑に囲まれたダウンタウンが一望できるように建てられている。座席の位置は競り上がった2階席の上の方であったが,スタジアム全体を観るには迫力十分の場所であったので,オープニング・セレモニーを観るには絶好の場所であったかも知れない。ただし,日射しは強烈で,十分な準備(防備)をしてこなかったことを悔やんだ。
  • 男子マラソンが予定より15分遅れて始まった。場内放送がなかなか聞き取れなかったが,どうやら藤田という日本のランナーが2時間6分そこそこのタイムをもっており,注目されているようだった。実際には油谷?が5位に食い込んだのが最高位であった。マラソンをスタジアムで観戦することの面白さを肌で感じることもできた。生還者の順位に関係なくカナダ人といっしょに大きな声援を送った。とくに,上位には暑さに強いアフリカ人が並ぶ中,日本人が5位,8位,9位,12位に入ってきた時には彼等を誇らしく思い,さらに大きな声援を送った。また,カナダのランナーが生還した時にもまるで自分達がカナダ人になったつもりで声援を送った。それほどに一体感になれる雰囲気がこのスタジアムにはあった。
  • スタジアムの面白さは各国の入場の際にも見られる。もちろんカナダの入場の際に最高潮の盛り上がりを見せたが,各国が紹介されるたびにあちこちで歓声が上がった。これはおそらく彼等が海外からやってきた旅行者ということではなく,彼等のルーツがそこにあるためと思われる。カナダがいかに多国籍の者を受け入れているかを実感できたわけである。ちなみに,Mimiのルーツはおそらく東南アジア,Natalieにはアイリッシュやフレンチの血を受け継いでいるし,Aliadnaは母親がメキシカンである。また,Sebastianはルーマニアの紹介で大きな歓声を上げていたし,Prof.Shahはケニアの母をもつ。
  • オープニング・セレモニーそのものも親しみやすくたいへん楽しいものであった。これを言葉で言い表わすことはとても不可能である。
  • スタジアムから戻ると,4名の男女がドラムへラーに向かったという報告があった。また,カレーパーティも開かれたようである。


 8/4(土)
 
  • 世界陸上を観戦するために午前8時頃にロビーに集合し,スタジアムに向かう計画があったらしいが,昨夜のカレーパーティは延長戦に突入し,遅い者は午前4時以降まで夜更かししたとか。さてどうなったことやら・・・うわさによると,H子が終日観戦していたらしい。
  • 正午頃,Clareviewに行く途中でスタジアムを覗いてみたが,座席はがら空き状態で,1〜2割程度しか埋まっていなかった。カナダ人にとっては陸上競技よりもオープニング・セレモニーの方がずっと面白いのであろう。夕方頃はかなり人が集まったと聞く。
  • 4名が札幌医科大で計画していたナイト・クルーズにジョイント。
  • 14名がオーロラ・ツアーを独自に計画。地下鉄でClareview(終点)に行き,さらに北に10分程度歩いたところから参加した全員が目撃。やはりエドモントンからオーロラは見えるのである。水平線に近いところで見えるらしく,しかも当日は満月という悪条件であったが,皆の熱意が通じたようだ。流れ星のおまけがさらにロマンチックを演出したに違いない。月の出が遅くなる次週後半,北の空が晴れる時が見ごろかもしれない。


 8/5(日)
 

 8/6(月)
 
  • 朝からEdmonton Journal(地方新聞)に目をとおすと,やはりモーリス・グリーン関係がトップを飾っていたが,銀メダルホルダー室伏の写真も光っていた。他の金メダルウィナーの記事が少ないだけに,これは異例の取り扱いだ。
  • Heritage Daysのフェスティバルを見物するためHUBモール前に集合し,キャロルの先導のもと,William Hawrelak 公園に向かった。なお,ナタリーは昨日到着した新潟大学のグループのモニターを勤めていた。
  • 公園内にはそれほど大きくはないが,赤い屋根のテントがずらりと並んでいた。100程度はありそうで,一つ一つが各国あるいは地区のパビリオンなので,少なくとも50カ国程度は何かの催しを営んでいるだろう。もっとも多いケースはその国独自の料理やスナック,飲み物のコーナーで,装飾品や衣類などの販売も多い。またダンスと演奏もつきもので,一つ一つをしっかりと見物しようものなら丸1日は必要であろう。それほど活気のあるフェスティバルであった。もっとも印象に残ったのは日本のパビリオン前でのパフォーマンス(和太鼓)にもっとも人が集まっていたこと。エドモントンの日本びいきを垣間見ることができる。そこでは焼き鳥やいなり寿司も売っていた。その他に印象に残った催しは,カナダ代表のフォークダンス,スペインのフラメンコなど。ナイジェリアの民族音楽も見事だった。
  • 約半数がさらに滞在し,他の者はWhyte Av.に行ったり,ホテルに戻ったり。今日も快晴で日射しの強い1日だった。



 8/7(火)
 
  • 早朝,ドラムヘラー組から電話があった。無事の帰着にほっとする。また,なんとか今日の授業にも間に合ってくれた。
  • 今日は午後からミニゴルフ。これも公式プログラムの一つ。ミニゴルフと言っても,山の斜面を利用しているので木々に囲まれており,グリーンやフェアウェイは綺麗な芝生でおおわれている。だから鹿やリスがあちこちに。親子連れや子供達でにぎわっていた。
  • 8月になって日本人がかなり目立ってきた。少なくとも現在,札幌医科大,北海道医療大学,新潟大学,静岡大学,明治薬科大学,成城大学から参加している。北海道が2校と多いのは,アルバータ州との姉妹提携関係にあるためと聞いた。



 8/8(水)
 
  • 授業も残すところ2日。最終日は試験となっている。この日は,キャロル班ではジョークを織りまぜた寸劇を,またジャスティン班では各々がプレゼンテーションを披露することになった。もちろん英語で。
  • 夕方よりFaculty Socialと呼ばれる社交パーティに全員が招待された。この名称からは予測できなかったが,どうやら現在アルバータ大学で夏期研修セミナーに参加している日本,韓国,中国(台湾)の学生と引率者が招待されているようだ。その数は300人程度。開催場所はCrowne Plaza Chateau Lacombe。例年はHotel McDonald。
  • 司会進行役はESLのディレクター,Robert Bermanで,日本総領事館代表のTakayoshi Itoほか,3名の祝辞があった。続いてそれぞれの大学が紹介されたが,参加人数は熊本グループが最大であったかもしれない。なお,同席したShah教授がキャロルに,こう言った・・・ここにいる熊本グループは他の大学の学生より教育レベルが高い。皆この言葉に誇りをもってほしい。
  • 続くディナーはサラダ中心のビュフェ。コンビーフ風のアルバータ牛の煮込みはなぜか日本の味がした。
  • ディナーに続いてダンス・パーティとなった。すなわち社交パーティはここで終了し,あとはジョッカーまかせのロックに身をゆだね,若者達が踊り捲った。ホテルに戻ったのは夜中の12時半過ぎ。キャロルは予想どおり豪快かつ軽快に踊っていたが,いつしか帰宅してしまった。予想外にと言っては失礼だが,ジャスティンもダンスはうまいし,彼女は最後まで残って踊っていた。このエネルギーに敬服。一方総領事官の奥さんの言葉も印象的だった・・・日本人はいつのまにこんなに変わってしまったの? 日本人の適応能力の高さに心底驚いていた。また札幌医科大の引率者,Robert Holmes氏(イギリス出身)の言葉を借りると,レセプションとダンスパーティがセットされたこのような社交パーティは初めてだと言っていた。このような催しがスタンダードではないこと,アルバータ大学の粋な計らいなのであることを覚えておこう。



 8/9(木)
 
  • 今日の授業では,Alberta Research CouncilのWalter Cool氏のスピーチがあった。いろんな経験,知識を与えよとする姿勢が嬉しい。
  • 授業の後,スタッフ(英語教師とモニター)に対する評価を行うため,教育学部の情報処理室に案内された。外部委託のWeb入力型であることは評価できるが,入力者のIDとクラスの整合性がとれていなかったり,モニター名が間違っていたりしたため,入力にかなり手間どってしまった。インストラクションの手際も悪く,間違いに気付かないまま入力し終わっ者も多数いた。いずれにせよ,様々な確度から公平に評価されるのが欧米流のやり方である。入力する者の責任も問われていることを自覚しよう。
  • この夜,嫌な事件が起こる。本学学生のノート型パソコンと携帯電話が盗難に会った。部屋のテーブルの上に置いてあったらしい。幸い,他の者に被害はなかったが,自転車の盗難に続きこれで2件目である。海外保険あるいはホテルの保険でカバーされうると思うが,皆ここでもう一度気を引き締め直してほしい。
  • その他の学生にとっても大変な一夜となっている。フォト・ダイアリの作成を始めとして多くの宿題がたまっている。また明日は最終試験日。皆いつになく深夜まで頑張っている。



 8/10(金)
 
  • 朝からきっちりと試験。しかし喜ばしいことに全員が合格した。
  • 午後5時半にイエローバスがピックアップ。Faculty Clubでフェアウェル・パーティに向かうためである。今回は我々を含め,札幌医科大と台湾からのグループを含めた3グループで。
  • フェアウェル・パーティは一種の卒業式のようなものであった。ミミの司会で始まり,学部長(代理),主任が挨拶。そして各大学の引率者がお礼の言葉を述べる。続いては,各クラス代表によるスピーチ。この4週間の思いでが蘇るすばらしいものであった。
  • 各教官が氏名を呼び,学部長が一人一人に修了証書を渡した。学部長の気さくな人柄と修了者の笑顔が素敵だった。熊本大学からは福井 愛がDean Awardを獲得した。極めて名誉ある賞に誇りをもってほしい。そしてリーダーシップを遺憾なく発揮した是永有希がELP Awardを受賞した。
  • ディナーが終わるとお決まりのディスコパーティ。皆もこのルールにすっかり同化し,エネルギッシュに踊り続けた。



 8/11−12
 
  • いよいよ出発の日。この数日は宿題に追われ,また別れを惜しむパーティの連続,もう皆くたくたである。予定の時間になっても集まりが悪い。気の毒だが電話を回し,なんとかチェックアウト終了。市内電話が無料であったこと,国際電話のほとんどがフォンカードを利用していたことも幸いした。
  • しかしそんな中,この後におよんでチケットとパスポートが見つからないという不届き者がいた。もうすでにナタリーとセバスチャンが迎えに来ており,誘導を始めていた矢先のことである。思わず・・・何でそんなことを今ごろ・・・。とにかく事情を聞き,心当たりを探してみると,何と以外に簡単に出てきた。ラッキーとでも言っておこう。
  • バスパスのことでキャロルが来ていた。彼女とのお別れがこれまた騒動だった。何人もが涙を流した。ナタリーももらい泣きしていた。
  • バスで空港に向かいチェックインをセバスチャンがサポートしてくれた。セバスチャンはすでに台湾チームを午前4時前に送りだしており,かなり疲れているはずだったが,実に手際よく作業を進めてくれた。あとで知ったが,このチェックインは出国手続きを含んでいたので,バンクーバー空港では単にゲートを移動するだけだった。
  • セバスチャンの手際の良さをいくつか披露しよう。出国手続きを含んでいたので当然係より質問がある。聞きなれぬ英語なので26人を相手にするのは向こうにとっても骨である。そこでセバスチャンは係の人と相談し,この作業を1回で済ませることにした。すなわち,セバスチャンが質問し,26人が声が合わせて『イエス』,『イエス』,『ノー』と言う。これで終了。自転車の件でも手際よかった。番外編頻出のK君の自転車を包み込むため大きなビニール袋とテープをもらい,それで自転車をぐるぐる巻きに。見掛けは悪いがこれで日本国内線を含め,すべてうまくいった。
  • ナタリーとのお別れ,これも辛かった。ナタリーの目にまた涙が光った。
  • バンクーバー空港では軽く食事をし,最後のショッピング。ゲートの変更はあったが,とくに問題なく離陸。ただし,よくあることだが1時間近く発進が遅れた。それでも定刻には関西空港に到着し,リムジンバスで伊丹空港に向かった。
  • 伊丹空港ではちょっとしたトラブルがあった。荷物検査でトランクに酒類等のボトルが見つかり,これらを手荷物の中に詰め替えるように指導された。はっきりいってこれはかなり面倒な指導である。国内便に限るルールらしいがこんなことは初めてであった。
  • 熊本空港に到着し,解散式を行った。まず隊長(学生総代)の挨拶。そして引率者が個人的な感想を述べた後,今後のことについての連絡があった。バゲージクレームではすでにバゲージ類が一つにまとめられている。別れが辛い。バゲージの前に並び最後の記念撮影。最後の最後はM子のためのささやかな誕生会。今回のグループらしい幕切れだった。



 そしてその後?
 
  • M君より引率者に電話があった。声に元気がない。話を聞くと免許証をホテルに忘れたと言う。そこでホテルにファックスしその後電話をした。電話口になつかしいティナ?の声が響いた。またミミにメールも書いた。とくにこの件でトラブルが発生するとは思えないが,回収の努力はしておいた方が良いだろう。いずれにせよ,引率業務はまだまだ続く・・・?



番外編(ハプニングとインフォメーション)